荷物整理は、大変だああ。いろんな所に住んだなあ。
僕は、33階にあるセントラルパークのあるアパートに住んでから20年くらい経つ。
その前までは、イーストビレッジや、ソーホーや、チェルシーや、アッパーイーストや、ブルックリンや、ウエストビレッジとにかくいろんなところに住んだ。というか、そうしないと暮らしていけなかった。ようやく今のアパートに落ち着いたのが20年くらい前だ。その時だって最高長く住んでも10年だからと言っていたのに、いつのまにか20年だ。
昨年からは日本をベースにすることに決めたし、アジアやヨーロッパにもいる時間が長くなったので、NYのアパートの自分のものを出して、簡単なレノベーションをすることにした。僕がいない間は、家具付きで短期滞在用に貸してみることにした。NYでは、結構そういうニーズがあるらしい。ホテルよりも快適だからね。
ということで、この20年間に積もったいろんなモノの整理をしている。これが大変!あんまりモノに執着がないと自分で思っていたのに、まあ、こんなに物があったのかと!しかもまあ、自分がどんなに整理の悪いかを自覚させられた。「こんなところに、これがあったのかあ!」「そうそうそういえば、こんなんのもあったなあ!」「あれ、これってなあに?」
メモや写真などが出てくるとそれを見るのに時間がかかったり。本当はいっそうのこと、スーツケース2個に入らないものは皆、処分するのもいいと思うのだけれど。物を大切にしたいという気持ちもあって、ケチなところもあって、なかなかそれは出来ないでいる。
捨てたり、寄付したりするもので、なにか思い出が強いものは、写真を撮っておいたらいいというアドバイスを貰ったので、そうしている。そうするとなんとなくすっきりするのも面白い。想いに執着があるのであって、物に執着があるのではないんだなあって思った。
普段から年に数回は、大掃除と大整理をしないといけないなあと反省。オフィースは3年に一度くらい引っ越しをしているので、まあなんとか整理がついているけれど、住む場所は、ここに住み着いちゃった感じだったからなあ。僕の人生の中で、このアパートに一番長くいることになる。小さいころから、いろいろ引っ越しが多くって、東京でも何度もして、アメリカでも何度もしている。もしかしたら、もうこんなに長く同じところに住むということは無いのかもしれないなあ。
こういう作業って、思ったよりも倍以上の時間がかかる。しかも、とてもメランコリックになるものだ。
勉強にもなる。自分の人生を見直すいい機会だ。もし、今僕がここで死んだら、ほとんどの物は、価値のないものだということも自覚できる。限られた時間という人生の中で、どうやって今を生き生きして過ごしていくのか、それが大切だなあってつくづく思った。
スーツケース2個でも生きていける。そういう過ごし方を長くしてきたこともある。アパートいっぱい、大きな家いっぱいでも生きていける。大きなソーホーのロフトがオフィースとスタジオだった時には、本当にいろんなものが溜まった。
それにしてもいろんな環境で生きてきたなあとも思った。床が傾いていて、窓が閉まらない小さなアパート、5階まで階段のアパート、クーラーも利かない古いロフト、一階で隣のバーの音が凄いところ、古い建物をイタリア人数人とでシェア。いつか、NYで住んだ場所、すべてを写真にしてみたいと思っている。
それでようやく今の景色も良く、静かなアパートに落ち着いたときはホッとしたのも覚えている。でも、僕はいつもなぜかセントラルパークウエストの大きなアパートに住むと思っていた。NYに来た時に、なぜかそう思った。でもまだ実現していない。親友がそれを実現しそうだ。
これからは、僕はどんなところに住んでいくのだろうか?また、新しい出発だ。
長く住んだNYには、まだ、オフィースもお店もあるので、TaoZenもあるし、年に三度くらいは戻ってくるけれど、なにかひとつの章が終わりつつあるなあと実感している。
『日々是瞑想の独り言』(今回から、気がついたちょっとした独り言を時々書いてみようと思った。朝の瞑想の時にでてきたインスピレーションか、妄想)
どんなに場所が混乱していても、状況が混乱していても、ちょっと太極拳をすると、身体の中の空間がすっきりする。太極拳に感謝。