風水と易の大御所、マスター・ラオと楽しく夕食。

風水と易は、この10年でアメリカでは、とても人気がでて、今では、普通の会話にもでる用語にもなった。

20年以上前に、マスター・チアの家の風水と易をみていた名人、マスター・リンに集中的に風水と易を教わったことがある。でも、とにかく数字が多くって細かくって大変だった。生徒のほとんどが諦めたために、コース自体が途中でやめになってしまった。

マスター・ラオと出会ったのは、10年くらいまえで、彼の風水と易は、とてもスピリチュアルなところがあって、しかも人間臭いので、それから親しくさせてもらっている。彼は、何百年も続く風水と易の家柄に生まれた人で、祖先は帝王に使えていた。しかし帝王が変わる度に一族の身が危なくなるので、一族みんなが香港に隠れたらしい。彼は香港でトップの成績で、1950年代にアメリカのハーバードとMITに同時に招待されたほどの秀才で、本などは一度見るとすべて頭に入る才能があったらしい。最近はちょっと劣れたと言っているけれど、70歳を越えた今でも、僕の母の誕生日や、前回に会った日にちまでも覚えているくらいだ。だから、きっと複雑な風水の計算も一瞬にできているに違いない。

彼が若い時には、彼の頭脳が欲しくてFBI もかなり動いたくらいらしい。風水師とか易師は、けっして有名になったりしてはいけない、権力側についてはいけない、というのが彼の持論。かなり有名人や、有名企業のコンサルタントをしていたにも関わらず、質素で目立たない生活をしている。この数年は知っている人たちだけの相談にしかのらない。自分では引退していると言っているが、それでも世界中から依頼がまだきている。特にこれと言った弟子もいない。以前は教えていたのだが、あまりの辛抱のない生徒たちにがっかりしたらしい。彼の知識と洞察力を次の世代に残さないことは残念だ。優秀すぎることは、幸せとは限らないのかもしれない。

僕も易や風水もしてもらったこともあるけれど、僕は、マスター・ラオと時々一緒に食事をするのが楽しい。半年に一回くらいだけれど、僕が食事に誘うと出てきてくれる。中国の長い厳しい歴史を感じさせられるものがしみ込んでいる身体と心だ。シャープなマインドだけれど、底にいぶし銀のような愛があるのが、嬉しい。易などでは、なかり厳しいことを言うのだけれど、どこか憎めない可愛い(失礼!)ところがあるのが、嬉しい。一緒に瞑想もさせていたこともある。かなり宇宙的な瞑想を体験した。「ほう、ここの家は瞑想しやすいねえ。」というのが彼の感想だった。なんか風水師とはいえない感想だった。

この日も、ごくシンプルな食事をとりながら、2時間もいろいろと思い出話などをしてくれた。

大きな素晴らしい魂が、ニューヨークの片隅で静かに行きている。ちょっと勿体ないなあと感じるのは、僕が貧乏症だからだろうか?

とにかく、貴重な存在だ、長く健康に生きてほしいと願う。

”日々是瞑想の独り言”

足の裏が強さの象徴だ。とっても敏感で、我慢強い。しかも、とくに自分のことを認めて欲しいとは叫ばない。目立たなくても、全身を支えている。時々は、感謝しなくっては。自分の存在が足の裏みたいになったり、唇みたいになったり、瞼みたいになったりするのが楽しい。身体の一部一部をかんがえてみるのも良い。

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