日本の新聞は、いつから世界の中の地方新聞になった?

iPadで、毎日ニューヨークタイムスを読んでいる。インターネットで、朝日、読売などにも、かならず眼を通す。。

政治のことでは、この2週間ほどのエジプトの混乱にとても興味を持って読んでいる。NYタイムスでは、毎日トップに大きく取り上げている。毎日、少なくても7つくらいの、この件についての記事が載っている。

ところが日本の朝日や読売などの大手新聞は、どこでも「邦人数百人が空港で立ち止まり」とか「邦人旅行者だけでも数千人がいる」とかは大きく取り上げているが、今回のことについては、つい二日くらいまでは、比較的軽い報道だった。

でも、このエジプトの状況は、中近東全体を考えた時、あるいは世界状況を考えたときに、大変なことに広がる可能性の大きなことだと思う。なのに日本の新聞からは、どういう熱感がない。

今回のことだけではなく、新聞の視野の広さについて、気になる事が多い。ロンドンタイムスでも、NYタイムスでも、それなりの偏見はあるのだろうが、とにかくグローバルでも見ようという態度がはっきりある。必ず、頷けるような記事が毎日、見つかる。

なのに、日本の大新聞は、だんだんとTV的になってきているような気がするし、とても視野が狭くなっているような気がする。日本の新聞は、世界のなかでは、地方紙の感じになってしまっている。今は、まだ、日本の製品が世界中に広まっているから、そこから伝わってくる世界観、企業を通しての世界観みたいなことがあるけれど、これがすくなくなってくると日本がとても狭い視野で考えるようになってしまうのではないかと心配。今は凄いスピードでいろんなものがグローバル化している。それが良いかどうかは考える必要があるけれど、確実に大変なスピードでそうなっていることは確か。

僕は新聞や、雑誌が大好きだ。

ぜひ、日本のジャーナリズムというものに、もっともっと頑張って欲しいと思う。けっして世界の地方新聞とか、地方のスキャンダル紙に甘んじて欲しくない。

TaoZenの推奨している瞑想も、決して個人だけでのものだけだったり、日本だけのものだったり、してはいけないと信じている。常に他者や、もっと大きな世界を含めた瞑想でありたい。個という存在が、いまや、そういうことになっているのだから。

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