瞑想をなぜやるのか?(その1)

瞑想をなぜやるのか?(その1)

時差ぼけは直ってきました。本来の天然ボケは治りません。それが治ると僕らしさが無くなるだろうって、勝手に思って、気楽に構えています。

火曜日の夕方から、僕の田舎の秋田に来ています。
こちらも梅雨でジトジト。20年ぶりくらいの梅雨の体験です。
カラッとした暑さになれている僕には、結構、空気が重い感じです。
でも、緑が綺麗です。田んぼの緑も、こんなに深い色だったかと。
こういう緑をどう表現するんでしょうか?たんに緑とか深緑では、表現しきれていない色具合です。
つい一週間前にいたノースキャロライナの山の色とは、本当に違います。向こうの緑は、青い感じでした。

さて、前回、インタビューをNYで受けて、いろいろ考えさせられたこと。瞑想の効用はなに、ということの続きです。今週末から、来週にかけて、何度か日本の雑誌や、ラジオとのインタビューを、プロデューサーの今屋さんを中心にアレンジしてくれました。
ということは、同じようなことを聞かれるでしょうねえ。‘瞑想をしたことのないにたいして、瞑想というのはなにか?なぜ、瞑想がいいのかを説明してくださいって。’

瞑想というものが、本来とても多面的なもので、深いものなので、説明を拒否するところがあるのかもしれません。そして、僕にとっても、自分の一部なので、客観的にみていないのことも確かだと思います。

僕の今のミッションは、多くの人が気軽に瞑想を(気功、太極拳、ヨガなどの動く瞑想も含めて)していただきたいということです。
だから、すっきり瞑想の効用みたいなことを説明しようとする必要があると、強く感じています。と同時に、あんまり上手に説明しないでいるほうが、本来の瞑想の良さ、強さを逆に伝えることができるような気もしています。

まずは、僕にとってどういう意味があるのか、というところから始めてみます。
実際、瞑想のない生き方というものは、僕には、とても考えにくいと思います。
より十分に生きていこうとする自然な、そして自分内部から湧き出る欲求に対しての、かけがえのないものです。
毎日、食べて、寝て、社会参加して、身体を動かして、心が動いて、そういうなかで、見つけた大切な根本的な生きるメソッドです。
瞑想なしで、僕は、自分の感情、精神、身体、あり方、などをどう点検して、進めていくのか、今では、想像できません。
ほかにも方法があるとは思います。でも、自分を見つめながら、大きな命の流れを感じながら、と同時に自分以外の大きなものも感じて、優しく強く生きている人は、瞑想、あるいは、瞑想に変わるようなようなライフメソッドを日々行っているように思われます。

では、僕にとって瞑想とはなんでしょう。
まずは心と身体を落ち着けること。そうして、出来るだけ本来の自分に気づくこと。
そして、その自分をすこしでも捨てること。そうすることによって、命の本来の流れに積極的に委ねて、出来るだけ生き生きと生きていくようにできるように願っている。自分だけではないもっと大きな命とのコネクションに全身で気づくこと。
今というところに自分をいかせる訓練。
他人も自分も、操作をして妙なコントロールをしなくても大丈夫だと、実感できること。
健康というものの本来のパワーの源と接すること。
まだまだ、ある。
その上、僕というエゴが、理解しなくていいことなのです。というか、僕が理解できるような範囲のものではないというのが、瞑想に対する実感です。

どういう効果があるのでしょうか?
まず身体がとても元気になります。心が元気になります。
自分の感情が多少分かるようになります。
自分のエゴがどういうふうに動くのかが、多少分かるようになる。不完全な自分を、あれあれと微笑むことができるようになります。そうすることによって他人、事件の不完全さ不条理さになにかリラックスした対応が出来るようになってくる。
生きるということの味わい、深みがます。生きているというマジカルなことを実感でき、生きるということに信頼感が沸いてきます。
まだまだ、あるなあ。

では、、瞑想をやったことのない方にどう説明したいのだろうか?
今まで、多くの人に、きっと数千人もの人に勧めてきたのに、いままで、上手に説明したことがない。僕は、いままで、上手に説明するよりも、とにかく実際にやっていただくということ、実際に感じてもらうという方法でやってきました。
基本的には、その姿勢は変わりませんが、言葉ですっきり説明してみる方法も必要ですね。

この続きは、また。
なにか、いいアイデアがあったらぜひ、教えてください。
いろんな人の体験を、まとめるという方法の説明方法も効果的だと思っています。ぜひぜひ、ご協力を!

長くなりました。御免なさい。
では、久しぶりのお袋の朝御飯をいただきにキッチンに向かいます。

いろいろ難しいことを言ったりしても、美味しくご飯を頂けるというのは、心底幸せですよね。笑顔

瞑想もそういうレベルのところで実行していきたいなあ。

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