キーワード「スピリチュアル」を含む投稿一覧


2011.04.29

『進化しているアメリカのスピリチュアリズム』

今回のNYの滞在中、いくつかのスピリチュアルなワークショップやクラスに参加することができました。アメリカでは80年代から90年代にはニューエイジ・ブームで、エネルギーやオーラ、占星術、予言者といった傾向のものが、スピリチュアリズムのイメージでした。しかし、最近は、禅、タオ、ヨガ哲学、カバラ、クリスチャニティなど伝統的なものが、脳科学、生理学、医学、哲学、心理学、そして環境問題、宗教問題、エクササイズ、芸術、高齢化問題などと融合して、新たなものに変化してきていると思います。ある意味では、子供っぽかったとも思えるものが、大人のスピリチュアリズムに成長して来ていると考えられます。

そういう観点から、今回、僕がNYで触れたイベントの幾つかを紹介します。

■オープンセンターで行われたイベント「知恵の遺産」

本当の知恵とは何か、さまざまなフィールドの専門家が丸一日かけて話しあいました。パネリストは仏教徒のハリファックス女史、人類学者のベイツソン女史、ユダヤ教からは、シャクター・シャロミ氏、それにジェーン・フォンダなど。チケットはすぐに売り切れたそうです。

72歳のジェーン・フォンダは整形はしているものの、かつての美しさを保っています。映画スターから反戦運動、エクササイズグルー、お金や名声のことなどもオープンに話していました。ラム・ダスは、スピリチュアリズムではアイコンのような人。知恵というのは毎日養っていくもので、しかも自分のなかに既にあるものを再発見していくということ、と話していました。

ラム・ダスはビデオで参加。アメリカの現代知恵のアイコンの一人。

■アディヤシャンティの法話

僕が注目するアメリカの禅僧の1人です。「悟りのプロセス」というかなり難しい内容の法話だったけれど、20代から70代くらいまでの幅広い年齢層の聴衆が集まっていました。伝統的な法話の方式で、まったくスクリプトなしでただ淡々と話します。実に誠実な感じでした。

どこの宗派にも属さない禅のアディアシャンティ

■ダンスやアートと融合したもの

以前紹介したコンティ二ウム・ムーブメントや、ファイブリズム・ダンスやエコ・ムーブメント・アートなど。どれもあまり形にこだわらない動きのなかに、自己発見をしていくメソッド。ファイブリズム・ダンスは、ジョフェリーバレー団の練習所で定期的に行われており、音楽に合わせて皆が自由に動く、健康的なレイブ・パーティのよう。会場にいたのは実にさまざまな人たち。1/3は男性で、20代から80代くらいまでがミックスしていました。こういうのが日本にも欲しいなあ。

■トラウマ療法「ソマティック・エクスペリエンス」

ピーター・リヴァイン博士がまとめた身体心理療法で、トラウマは身体にあるという理論に基づいています。太極拳や気功、呼吸法などの僕の教え方が、このメソッドととてもよく似ているという意見を何度も聞いたので、興味を持ったのです。この5月にはこの療法のインストラクターと共に、ウイーンでワークショップをすることになっています。

■講義「瞑想と脳」

ニューヨーク大学の心理学研究所のゾラン氏によるもので、瞑想が脳にどのような影響を起こすかについての長年のリサーチを、1日かけて報告。深い瞑想がどのように脳の活性化に役に立つかを科学的に説明していました。このリサーチの研究材料の一人に僕がなっています。

アメリカのスピリチュアリズムは、確実に進化しています。

ビジネスのリーダーシップのワークショップでも、瞑想を積極的に取り入れています。このジャンルでは人気の高いトニー・ロビンスも、ここ数年は、成功するために瞑想が欠かせないといっています。多様なフィールドの人たちが自由に瞑想やスピリチャリズムについて試行錯誤しているのが、実にアメリカ的。今後が楽しみです。

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2011.03.04

ゲーリー・ボーネルと大笑い。

チネイザン4期の多江さんと、通訳と翻訳の大野百合子さんの縁で、今夜はゲーリー・ボーネル氏と武藤由美子さんと一緒に食事した。

大野さんとは、ばななさんの紹介で以前もお目にかかったことがある。チネイザンのセッションにいらしたのに、はなしに花がさいて、気がついたらセッションをする時間がなくなって、再度アポの取り直し、ということがあった。武藤さんはゲーリージャパンの取締役。

ゲーリー・ボーネルは、言わずとしれた(らしい)アカシック・レコードを読む世界的な神秘家。

僕は、アカシック・レコードも、アトランティスもあんまり分かっていないけれど、大野さんたちが、ゲーリーと僕を会わせて、なにか対談でもできないかということで、とにかく合わせようということで、こういう機会を与えてもらうことになった。

それにしても、神秘家とか霊能者とかと、会う時にはなんとなく緊張してしまう。有名芸能人とか、政治家とか、アーティストや、モデルなどと会う時よりは緊張しないのに。

「ああ、貴方は来年死にます。」とか「貴方のやっていることは、嘘だらけです。」とか「貴方は、悟っていますから、そんなことではいけません。」とか言われたらどうしようと、僕のどこかで思っているに違いない。緊張することの少ない僕が、こんなに緊張しちゃうんだから。

でも、ゲーリーと会って握手をした瞬間に、そういう緊張というか期待はなくなって、すっかり打ち解けた話をしていた。まずはお互いの偶然がいくつか、すぐに分かった。彼がNYで仕事をしたことがあって、それがペンシルバニアホテルのジェネラルマネージャーだった。僕は、このホテルのPRを1年半くらいやったことがある。時期はちがっていたけど、かなりの偶然。ゲーリーも初めの仕事は、広告。僕も広告。彼は家具のビジネスで大成功してひと財産を作ったそうだ。僕は、NYで家具などを扱うアンティックストアのパートナー。僕の場合はお金は全く儲けていないけれど。ほかにもいろいろ偶然があった。

なにしろ、お互いに正式なエイリアン。彼は日本国から出された外人登録書にそう書かれている。僕は合衆国のグリーンカード(永住権)にオフィシャル・エイリアンときちんと証明されている。お互いに宇宙人か?

大野さんと僕が、大変な方向音痴だということで、盛り上がって、皆で大笑い。

ということで、決して神秘的な話や、スピリチュアルな話は、全くせずに大笑いの夕飯だった。

ゲーリーは、存在がとても透き通った、鮮明な頭脳をもった素敵な人だと思った。なにか、一緒にできたら光栄だ。大野さんや、武藤さんも、怪しいスピリチュアルな感じがなくって、明るいのが良い。

それにしても、僕は神秘家でも心霊家でもないのに、そういう人と縁が深いようだ。

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2010.05.01

風水と易の大御所、マスター・ラオと楽しく夕食。

風水と易は、この10年でアメリカでは、とても人気がでて、今では、普通の会話にもでる用語にもなった。

20年以上前に、マスター・チアの家の風水と易をみていた名人、マスター・リンに集中的に風水と易を教わったことがある。でも、とにかく数字が多くって細かくって大変だった。生徒のほとんどが諦めたために、コース自体が途中でやめになってしまった。

マスター・ラオと出会ったのは、10年くらいまえで、彼の風水と易は、とてもスピリチュアルなところがあって、しかも人間臭いので、それから親しくさせてもらっている。彼は、何百年も続く風水と易の家柄に生まれた人で、祖先は帝王に使えていた。しかし帝王が変わる度に一族の身が危なくなるので、一族みんなが香港に隠れたらしい。彼は香港でトップの成績で、1950年代にアメリカのハーバードとMITに同時に招待されたほどの秀才で、本などは一度見るとすべて頭に入る才能があったらしい。最近はちょっと劣れたと言っているけれど、70歳を越えた今でも、僕の母の誕生日や、前回に会った日にちまでも覚えているくらいだ。だから、きっと複雑な風水の計算も一瞬にできているに違いない。

彼が若い時には、彼の頭脳が欲しくてFBI もかなり動いたくらいらしい。風水師とか易師は、けっして有名になったりしてはいけない、権力側についてはいけない、というのが彼の持論。かなり有名人や、有名企業のコンサルタントをしていたにも関わらず、質素で目立たない生活をしている。この数年は知っている人たちだけの相談にしかのらない。自分では引退していると言っているが、それでも世界中から依頼がまだきている。特にこれと言った弟子もいない。以前は教えていたのだが、あまりの辛抱のない生徒たちにがっかりしたらしい。彼の知識と洞察力を次の世代に残さないことは残念だ。優秀すぎることは、幸せとは限らないのかもしれない。

僕も易や風水もしてもらったこともあるけれど、僕は、マスター・ラオと時々一緒に食事をするのが楽しい。半年に一回くらいだけれど、僕が食事に誘うと出てきてくれる。中国の長い厳しい歴史を感じさせられるものがしみ込んでいる身体と心だ。シャープなマインドだけれど、底にいぶし銀のような愛があるのが、嬉しい。易などでは、なかり厳しいことを言うのだけれど、どこか憎めない可愛い(失礼!)ところがあるのが、嬉しい。一緒に瞑想もさせていたこともある。かなり宇宙的な瞑想を体験した。「ほう、ここの家は瞑想しやすいねえ。」というのが彼の感想だった。なんか風水師とはいえない感想だった。

この日も、ごくシンプルな食事をとりながら、2時間もいろいろと思い出話などをしてくれた。

大きな素晴らしい魂が、ニューヨークの片隅で静かに行きている。ちょっと勿体ないなあと感じるのは、僕が貧乏症だからだろうか?

とにかく、貴重な存在だ、長く健康に生きてほしいと願う。

”日々是瞑想の独り言”

足の裏が強さの象徴だ。とっても敏感で、我慢強い。しかも、とくに自分のことを認めて欲しいとは叫ばない。目立たなくても、全身を支えている。時々は、感謝しなくっては。自分の存在が足の裏みたいになったり、唇みたいになったり、瞼みたいになったりするのが楽しい。身体の一部一部をかんがえてみるのも良い。

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