キーワード「願い」を含む投稿一覧


2012.03.27

ここのところ、本の締め切りで追われていました。

この数週間、本の最終原稿の仕上げに追われていました。

とは、いってもその間にワークショップはあるし、香港への出張はあるしで、合間をみては、どこででも原稿を書き直す作業をしていました。

いままで、この半年、いろんな所で、瞑想への想いをその場その場で書いていたものを最後にまとめたら、どうにか成るだろうとおもっていたのです。編集の杉本かの子さんも、そう仰ってたので、まあ、なんとかなるだろうと思っていました。ところが、まとめてみたら、これは大変。何度も同じようなことを違うように言ってたり、いきなり説明もなく、本題に入ってしまったり。英語を日本語訳したような感じの部分もあったり。

読み返して、かなりガッカリでした。ということで、この一週間でほとんどを書き直し。それでも、かなり僕としてはうなずけない感じです。とはいっても締め切りもあったので、とりあえず第一稿は、月曜に渡しました。

特にこの4日間は、長時間、マックに向ってずうっとタイプをしていました。こんな長時間、あんまり運動もせずにタイプをしたことは、初めて。両手の指や、手のひらが痛い。指の関節が腫れている感じ。

大体、僕のタイプは、全くの自己流の指の使い方なんです。左の親指は全く使わない9本指のタイプ法。どうも左の小指の使用量が多いのか、左の小指が麻状態。

もっともっときちんと、タイプの練習しておくと良かったなあと、今更後悔しています。

本の内容は、瞑想についてですが、ここのブログでも時々書いているような内容もいっぱいです。

編集の杉本さん!頑張って、僕の変な日本語を、すくなくても意味が分かるようにくらいは編集してくださいね。脱字誤字の宝庫なことは確か、でも、それよりも言いたいことが沢山あって、いろいろ書いた内容の半分くらいは読者の方に通じてほしいなあというのが、僕の願いです。

それにしても、これに凝らずに、次の本にすぐにでも挑戦もしたいと思っている自分に、半分呆れています。

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2012.03.14

「100歳まで、元気に幸せに、有意義に、生きる」

「僕たちは、100歳まで生きてしまう可能性が高いのですよ。だから、それに準備していかないと」と言うと多くの人が「そんなに生きたくない。はやく死ぬから良いよ。」と良く言います。

現実は、事故がないかぎり、ほとんどの人は100くらいまで、あるいは、もっと長くいきるようです。すくなくても現代の日本人やヨーロッパ人は。

理由はいくつかあります。

食べ物が良い。昔の食物の方が良いと良く言いますが、今は、なんでも手に入れられます。

つい最近までは冬には野菜がほとんど無かった、山に住む人には新鮮な魚が手に入らなかった。今は、ちょっと注意さえするとある程度健康に良いものがなんでも手にはいります。

医学の進歩。このままの進歩が続くと、そんなに簡単に死なせてくれません。

以前はどう死んでもらうかということが重要でしたが、今は、どうやっても生かしておきたいということになってきています。生かそうとするほうの気持ちは、良くわかります。しかし、生かされているほうは、どうでしょうか?

衛生が行き届いている。放射線や公害の問題は確かに大きな問題です。それ以外は、衛生的な生活状況です。これも今までの人間は、経験してきたことのないような状況です。

だから、僕は事故がないかぎり100まで生きると考えておいたほうが良いと思っています。

事故というのは、交通事後や怪我のような事故だけではなく、大変な病気にかかること、急に仕事がなくなるとか、家族がいなくなるとか、いう心的ダメージ、戦争や大災害なども含めてのことです。

ここで問題になるのは、どのくらい長く生きるかではなく、質の問題です

もちろんいつ死ぬかわかりませんが、死ぬギリギリまで、できるだけ健康で、楽しく、有意義に生きたいというのが、願いです。

その為にはなにをしたらいいのだろうかと、いろいろ試行錯誤しています。多くの健康法や食事療法は、かなり短期的な効果を求めています。多くの成功法もかなり短期的です。そうしてみると東洋の訓練方法は、かなり有効に思われます。

太極拳や気功、ある種のヨガ、そして、なによりも、瞑想と呼吸法です。

それから、重要になってくるのが、他の人に役に立っているかどうかです。他の人とシェアしているかです。

100歳まで元気に生きていた人は、どの時代にもいたようですが、その方たちは、特に恵まれた遺伝子を持った方達で、ほとんどの人は50歳くらいでは亡くなっていました。でも、これからは、我々のほとんどが長生きをしてしまいそうです。だから、今からその為にトレーニングをしていく必要があります。ココロとカラダのトレーニングです。

と、同時に、今日が最期の日かもしれない。だったら、どうして生きていこうかという問いが、同時になされる必要があります。

そんな、願いが毎日の短い瞑想に籠っています。

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2012.01.30

願いの叶う瞑想、終了。3週間お疲れさまでした。

1月9日に行なった「願いの叶う瞑想」

3週間は、必ず毎日行なうと約束して行なってきました。いかがでしょうか?

今日で、とにかく一度、終了したいと思います。もう少し続けたいと言う人は、このまま、個人であと4週間つづけて7週間の行にしてください。

皆で行なうプラクティスとしては、一度ここで終了にいたします。

毎日続けた人は、1月9日に自分に約束した、ご褒美をあげてくださいね。自分にギフトをするということは、とても大切です。

毎日続けられなかった人、あるいは、止めた人は、失敗ではなく、なにか理由があったのだと思います。そこをもう一度、考察してみてください。たしかな発見があるはずです。自分へのご褒美は、お預けですね。

毎日続けたけれど、どうもなあ、と言う人。とにかく皆を約束したから続けたのか、止めるとなにか悪いことが起きるのではないかと思ったからでしょうか?あるいは、積極的に楽しく続けたのでしょうか?ここで立ち止まって、振り返ってみましょう。とにかく三週間続けたのですから、自分へのご褒美をどうぞ。

僕個人としては、やはりまあ、言い出しっぺというところと、皆を見守っていようという気持ちと、そして今回は時に自分の信じる願いを大きな気持ちで続けることができました。実際に、先に一歩も二歩も進んでいます。

なぜ、終えるかというと、執着をしないためです。特に願いが入っている瞑想は、僕は3週間あるいあは、7週間で一度、終えること、手放すことが大切だと考えています。

出来るだけのことはしたのですから、あとは、天に任せるというか、考えないで、毎日を淡々と心を込めて出来るだけ、楽しく生きていくということです。

自然と願いのほうに向う、あるいは、自然と願いが向うからやってくるという感じになってくることが多いと思います。

自然に、願いに向って楽しく努力している自分が見つかったり、思いがけない出会いがあったり、することが多いと思います。努力は楽しく。仮に苦行でも、ほんものは、他の人には、苦しそうに見えるだけで、本人はそうではないはずです。狙いをつけて人や物事と会うのではなく、当たり前のように偶然のように、でも必然に人や物事に出会うのだと思います。だから、嬉しい。ワクワクする。

もう既に叶った願いもあるだろうし、その方向にステップしている方もいると思います。願いは結果というよりも、過程だという東洋の智慧もなかなか味があると思います。

この三週間、確実に自分の願いの再検討にもなったと思いますし、確実にステップしているはずです。願いが遠くなったという印象を持った人も、そこに何かが考察するべきものがあると思います。

新しく「願いの叶う瞑想」をしたくなった人もいるかと思いますが、少なくても3ヶ月は休みましょう。大切なものは、熟成する必要があります。

この願いの叶う瞑想は、また来年か年末にでも、さらに改良した形で、行なおうと思っています。

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