キーワード「日本」を含む投稿一覧


2012.04.11

瞑想の新しい本が5月9日に発売になります。

ゴールデンウィーク開けの5月9日に新しい本が出る予定です。

今回の本には、念いが一杯入っています。それが上手に表されているかは、自信がありませんが、短い時間に精一杯やったと思います。

『1分瞑想』というタイトル案での依頼で、最初はそんなの無理だと思ってお断りまでしようかと考えたのです。嘘のことは書きたくないですからねえ。

でも、実際やってみると一分瞑想というのも、とても意味があることが分かりました。この辺のことはまた、別の機会にゆっくりと。

数日前に、第一回目のゲラが上がってきました。読むと直したい所が山とあってキリが無いのです。

でも、時間切れですし、今の僕の日本語を書く才能の限度というものもありますから、これで良しとしましょう。

昨夜まで、僕はいろいろ書き直したりしていましたが、今頃は編集のかの子さんが汗かいて頑張ってくれているのじゃないかなあと思います。

表紙も出来上がりました。どこよりも早く、ここで表紙だけでも見てください。デザインは、今回は無理を言って、タオゼンのマークを作ってくれたリカちゃんにやって頂きました。有り難う。

とりあえず、どこよりも早く、表紙を披露させて頂きます。

ばななさんには、お父様がお亡くなりになった週だったのにも関わらず、帯に紹介を書いて頂きました。本当に感謝です。ここで改めてお礼を申し上げます。

(電話では、どうもきちんと上手にお礼を言えないので。)

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2012.03.27

ここのところ、本の締め切りで追われていました。

この数週間、本の最終原稿の仕上げに追われていました。

とは、いってもその間にワークショップはあるし、香港への出張はあるしで、合間をみては、どこででも原稿を書き直す作業をしていました。

いままで、この半年、いろんな所で、瞑想への想いをその場その場で書いていたものを最後にまとめたら、どうにか成るだろうとおもっていたのです。編集の杉本かの子さんも、そう仰ってたので、まあ、なんとかなるだろうと思っていました。ところが、まとめてみたら、これは大変。何度も同じようなことを違うように言ってたり、いきなり説明もなく、本題に入ってしまったり。英語を日本語訳したような感じの部分もあったり。

読み返して、かなりガッカリでした。ということで、この一週間でほとんどを書き直し。それでも、かなり僕としてはうなずけない感じです。とはいっても締め切りもあったので、とりあえず第一稿は、月曜に渡しました。

特にこの4日間は、長時間、マックに向ってずうっとタイプをしていました。こんな長時間、あんまり運動もせずにタイプをしたことは、初めて。両手の指や、手のひらが痛い。指の関節が腫れている感じ。

大体、僕のタイプは、全くの自己流の指の使い方なんです。左の親指は全く使わない9本指のタイプ法。どうも左の小指の使用量が多いのか、左の小指が麻状態。

もっともっときちんと、タイプの練習しておくと良かったなあと、今更後悔しています。

本の内容は、瞑想についてですが、ここのブログでも時々書いているような内容もいっぱいです。

編集の杉本さん!頑張って、僕の変な日本語を、すくなくても意味が分かるようにくらいは編集してくださいね。脱字誤字の宝庫なことは確か、でも、それよりも言いたいことが沢山あって、いろいろ書いた内容の半分くらいは読者の方に通じてほしいなあというのが、僕の願いです。

それにしても、これに凝らずに、次の本にすぐにでも挑戦もしたいと思っている自分に、半分呆れています。

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2012.03.14

「100歳まで、元気に幸せに、有意義に、生きる」

「僕たちは、100歳まで生きてしまう可能性が高いのですよ。だから、それに準備していかないと」と言うと多くの人が「そんなに生きたくない。はやく死ぬから良いよ。」と良く言います。

現実は、事故がないかぎり、ほとんどの人は100くらいまで、あるいは、もっと長くいきるようです。すくなくても現代の日本人やヨーロッパ人は。

理由はいくつかあります。

食べ物が良い。昔の食物の方が良いと良く言いますが、今は、なんでも手に入れられます。

つい最近までは冬には野菜がほとんど無かった、山に住む人には新鮮な魚が手に入らなかった。今は、ちょっと注意さえするとある程度健康に良いものがなんでも手にはいります。

医学の進歩。このままの進歩が続くと、そんなに簡単に死なせてくれません。

以前はどう死んでもらうかということが重要でしたが、今は、どうやっても生かしておきたいということになってきています。生かそうとするほうの気持ちは、良くわかります。しかし、生かされているほうは、どうでしょうか?

衛生が行き届いている。放射線や公害の問題は確かに大きな問題です。それ以外は、衛生的な生活状況です。これも今までの人間は、経験してきたことのないような状況です。

だから、僕は事故がないかぎり100まで生きると考えておいたほうが良いと思っています。

事故というのは、交通事後や怪我のような事故だけではなく、大変な病気にかかること、急に仕事がなくなるとか、家族がいなくなるとか、いう心的ダメージ、戦争や大災害なども含めてのことです。

ここで問題になるのは、どのくらい長く生きるかではなく、質の問題です

もちろんいつ死ぬかわかりませんが、死ぬギリギリまで、できるだけ健康で、楽しく、有意義に生きたいというのが、願いです。

その為にはなにをしたらいいのだろうかと、いろいろ試行錯誤しています。多くの健康法や食事療法は、かなり短期的な効果を求めています。多くの成功法もかなり短期的です。そうしてみると東洋の訓練方法は、かなり有効に思われます。

太極拳や気功、ある種のヨガ、そして、なによりも、瞑想と呼吸法です。

それから、重要になってくるのが、他の人に役に立っているかどうかです。他の人とシェアしているかです。

100歳まで元気に生きていた人は、どの時代にもいたようですが、その方たちは、特に恵まれた遺伝子を持った方達で、ほとんどの人は50歳くらいでは亡くなっていました。でも、これからは、我々のほとんどが長生きをしてしまいそうです。だから、今からその為にトレーニングをしていく必要があります。ココロとカラダのトレーニングです。

と、同時に、今日が最期の日かもしれない。だったら、どうして生きていこうかという問いが、同時になされる必要があります。

そんな、願いが毎日の短い瞑想に籠っています。

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